第3章 裏切りの街角 〈7〉
※
今度はずぶ濡れの男が店に入ってきた。その姿は女のアパートへ帰ってきた時の彼と同じくらい、ひどく哀れだった。
そして少しすると、ダーツで盛り上がっていた若い女と黒人たちが出ていった。店はまた静寂を取り戻した。
※
座り込んだ彼はそれから時間が経つのも忘れて、苦渋に満ちた自分の人生についての堂々巡りに没頭していた。気がつくと午後六時だった。女の店は七時からである。いつもならこの時間、メーキャップをしているはずの彼女は、まだうつ伏せで寝そべっていた。
「おい、今日は店に行かないのか?」と彼は静かに言った。
返事がなかった。彼はもう一度、今度はどこかからだの調子でも悪いのかと訊いたが、それでも彼女は何も答えなかった。彼は彼女の肩を強く揺さぶって仰向けにした。彼女のからだはやけに重く、冷たかった。彼は弾かれたように後退りし、何かに躓いて転んだ。彼女は息をしていなかった。
彼が躓いたのは小さな瓶だった。それは空になっていた。ようやく正気を取り戻した彼は、彼女のバッグの中身を丹念に調べた。通帳が出てきた。彼女の通帳だった。二千万円という数字が刻み込まれていた。
※
ずぶ濡れになっていた男が出ていき、店の客はまた彼一人になった。もうすぐ午前一時、閉店時間である。彼は一息でグラスを空にし、マスターに合図した。
「また近いうちに来てよ」とマスターが微笑んで言った。
彼は少しだけ頷くと、何も言わずに出ていった。
雨脚が強くなっていた。彼はその中を無意識のうちに歩いた。それまでずっとぼやけていた彼の視界に、突然見覚えのある街角が入った。彼は自分でも気づかないうちに、あの夜、彼女を待っていた通りを歩いていた。
あの時、彼女は息せき切ってやってきた。まるで少女のように……。
〈続〉