SUMMER RAIN

夏の雨は時に優しく、時に無情・・・

第4章 夢のかけら 〈6〉

 頂上は目前だった。横殴りの暴風雨が一段と激しさを増し、2人の乗っている車も吹き飛ばしてしまいそうな勢いだった。

「あれは事故だったんだ…」後部座席に釘付けになっているマスターに、彼は声を戦慄かせて言った。「雨のせいだ。決して酔ってたわけじゃない、酔ってなんかいなかったんだ。学生たちと一緒に少しだけ呑んで、そして、俺は家に帰ったんだ。それからハンドルをこういう風に…」

 突然、彼はハンドルを崖めがけて切ろうとした。

「やめろ!」マスターは叫びながら必死で制し、ハンドルを奪い取った。「車を止めるんだ」

 彼はその声に怯んだように車を止めた。そこは既に頂上だった。

「美代子! 美代子!」と彼は喘いだ。興奮して苦しそうに肩で息をしている。

 自分の不注意による事故で、それも自分の娘を殺してしまったのである。マスターは彼の心中を察した。錯乱状態になるのも無理はないとも思った。しかし、常軌を逸したこの彼の行動は理解に苦しむ。どうしてすぐに病院に連れていかなかったのか、いや、きっと彼はそんなことを思いつきもしなかったに違いない。

 マスターは頭をフル回転させ、まずこの場を凌ぐことを考えた。「事故だったんだ。おまえのせいじゃない」

 束の間、彼は怯えた目でマスターの方を窺うように見た。

「わかってるよ。どうしようもなかったんだろ?」マスターは構わず続けた。

「俺のこと、狂ってると思ってんだろ?」と彼は前を向いたまま言った。

「何、馬鹿なこと言ってるんだ。俺がおまえの立場だったとしても、やっぱり同じだったと思うよ」

 すると俄かに彼は啜り泣き始めた。「ずっと友達でいてくれるか?」

「当たり前じゃないか」マスターは彼の肩をポンと軽く叩いた。「何も変わらないよ。だから引き返そう。俺がついてるじゃないか」

 マスターの力強い言葉にますます彼は顔を歪め、涙声で言った。「ハ、ハハハ、良かった。嬉しいよ。マスターならきっとそう言ってくれると思ってたんだ。俺の話、信じてくれるだろ? 俺が見た時、駐車場には誰もいなかったんだ。まさか、あんなところで俺の帰りを待ってるなんて…」

「ああ、信じるよ。この世の中、予測不能なことばかりさ。でも、だからってヤケになってどうするんだ。一刻も早く、美代子ちゃんを病院へ連れていかなくちゃ」

「病院…」と彼は呟いた。そしていくらか落ち着きを取り戻したように言った。「そうだな」

 マスターはその様子を見てほっと胸を撫で下ろした。

 それから彼は引き返すことに同意し、再び車を動かし始めた。「俺、キャプテンと友達で、本当に良かっ…」

 その時、突然一筋の光が走ったかと思うと、凄まじい轟音が耳をつんざき、稲妻が車の中を一瞬にして駆け抜けていった。車はそのまま真っ直ぐガードレールめがけて突っ込んでいった。コマ送りのようなスカイダイビングを繰り広げた後、荒れ狂っていた波は儚く砕け、彼らの乗った車はゆっくりと、呑み込まれるように、広大な海の中へ消えていった…。

 

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 ショットバー『S&M』の時計は、午前一時三十七分で止まっていた。マスターの〈夢のかけら〉は乗客や乗組員、そして船長さえも失い、座礁した船は時間の経過と共に錆れ、荒んでいくだけとなった。

 

                                  〈終〉