SUMMER RAIN

夏の雨は時に優しく、時に無情・・・

第1章 見返りなき愛 〈5〉

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 依子は今日の夕方、十日間のカリブ旅行から帰国したばかりだった。独身時代最後の思い出旅行は相当楽しかったらしく、レストランに入ってからも暫くの間夢中になって喋り続けていた。一か月後に新婚旅行でヨーロッパ一周旅行に出かけるというのに、わざわざこの時期にカリブまで行くこともないだろうと内心思いながら、泰彦は一貫して聞き役に回っていた。彼女は喋るだけ喋るとスッキリした様子で、目の前に出された料理をやっと食べ始めた。

 

 デザートの〈生クリーム添え木苺のムース〉が赤く縁取られた口に運ばれていくのを見ながら、今度は泰彦が披露宴に招待する大学時代の友人について話していた。しかしそれはたいして彼女の興味をひかないようだった。

 依子は持っていた銀のスプーンをプレートに乗せると俄かに微笑んだ。「私…幸せよ」

「僕も嬉しいよ」泰彦はテーブルの上で、彼女の滑らかな手を優しく愛撫するように握りしめた。「君のような素敵な子を妻にできるんだからね」

 彼女は微笑したままだった。「そして、あなたは私たち“南条家の一員”になるのよ。今までの、退屈でつまらない生活習慣は一日も早く忘れてね」

 束の間の沈黙が続く中、頭の中を依子の言葉が這いずり回り、それに追い立てられるようにしてそれまで彼を褒めそやしていた天使たちが次々に退散していった。

 つと握っていた彼女の手を離したが、泰彦は努めて冷静を装って言った。「それは、どういう意味だい?」

 しかしその声は微妙に戦慄いていた。

 

                                  〈続〉