SUMMER RAIN

夏の雨は時に優しく、時に無情・・・

第3章 裏切りの街角 〈2〉

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 三週間ほど前、彼が二か月もの間に一台も売らなかったことで、遂に部長から〈給料泥棒〉とまで言われた。丸く、血色の良い部長の顔が自分を蔑んでいた。彼はカッと頭に血がのぼり、右手をギュッと握りしめたが、最後までその拳が振り上げられることはなかった。それは家庭を思ってのことではなく、単に意気地がないからだった。その部長には、胡散臭い連中との繋がりがあるという噂を耳にしていたのである。しかしさすがに家に帰る気にはならず、目についた安っぽいキャバレーへと足を運んだ。

 

 その店は繁華街から少し外れたところにある。仄暗い照明の中を喧騒が支配しており、置いてあるものは一目で安物とわかった。店の女は皆、お面を付けたようなこってりとした厚化粧をして歳を誤魔化し、どぎついピンクや紫色の、フリルだらけという悪趣味なドレスを引きずるようにして歩いていた。彼は三十五より若い女はいないと踏んだ。出てくるビールはすでに気が抜けて生温く、とてもシラフで飲める代物ではなかった。

 荒んだ魂を引きずってやってきた彼は続けざまに酒を煽り、寄った勢いで隣に座っている女の太腿を弄った。女はされるままにしていた。調子に乗ってその手を女の形良い胸元にもっていった時、初めて顔をまともに見た。たいした美人ではなかったが、瞳からは絶望が感じられ、口元には隠しようのない陰鬱が漂っていた。彼は放心したようにその顔を眺め、吸い込まれるように女の顔に擦り寄っていった。

 すると隣のテーブルに座っていたママらしき女が「ちょっと、お客さん! 駄目よ!」と怒鳴った。彼は憤慨して「やかましい!」と言い返したが、気分を壊されておとなしく飲み始めた。彼は酒豪で、いくら飲んでも酒に呑まれたことがなかった。

 女は無口だった。

「お前、男はいるのか?」と彼は前を向いたまま、ポツリと呟くように訊いた。

 女は俯いたままだった。そして長い沈黙の後、ようやく答えた。「いないわ」

 なぜかその時、彼は女に欲望を覚えた。無性に抱きたくて仕方がなかったが、自分の冴えない容姿のことを思い出してその思いを振り払った。

 ところが、そう捨てたものでもなかった。閉店時間までしぶとく居座っていた彼に、女が耳元で「裏通りの角で待っててくれない?」と囁いたのである。

 いくら彼でもこれまでに女に誘惑されたことは何度かあった。ただ、待てど暮らせど相手の女が現れないのである。だから今回もまたからかわれているのかもしれないと思いながら、半信半疑で待っていた。

 しかし、女はちゃんとやってきた。急いでやってきたらしく、顔は紅潮し、呼吸は乱れていた。

「行きましょう! みんなが出てくるわ」

 そう言われて彼はやっと我に返った。

「あ、ああ…」

 

                                 〈続〉