第4章 夢のかけら 〈1〉
最後の客が出て行くと、マスターはドアに鍵をかけた。それから洗い物を手早く片づけ、カウンターの上で売上金の計算をしていた。その時、“ドンドン”とドアを執拗に叩く音がした。マスターはカウンターの隅にある小さな時計を見遣った。午前一時二十三分だった。
「悪いね、今夜はもう看板なんだよ!」とドアを見据えて言った。
「俺だよ! キャプテン!」とドア越しに男が言った。
「教授か?」マスターはすぐさまドアを開けた。「よう! 久しぶりだね。一人?」
それは毎年八月に、マスターが船上で一緒に過ごす旧友だった。マスターが自分の店を持った直後からの付き合いなので、やはり二十年になる。二人は一級小型船舶操縦士の免許を取得するための講習会で知り合い、そしてすぐに意気投合した。当時マスターが二十九、彼は二十八だった。二人して一級免許を取得した時は、まるで子供のようにはしゃいだものだった。
二人ともその頃は引き締まったからだつきをしていたが、歳月が二人の明暗を振り分け、今ではマスターは立派な太鼓腹をし、彼の方は相変わらず細いからだを維持している。彼は人生を上手に渡っている人間が往々にして持つ、溌剌とした表情をしており、実年齢より五つは若く見えた。気楽な生活を好むマスターは未だに独身だが、彼には十も年の離れた可愛い奥さんと、七歳になる、彼によく似た娘がいた。
単なる講師だった彼も今では某大学の教授で、主に経済学を専門にしている。彼を慕っている学生たちと時々店にやってきた。彼らが来た夜は決まって店を閉めた後も貸切り状態となり、夜明け近くまでどんちゃん騒ぎに付き合わされることになった。しかし若者たちと過ごす時間は常に有意義なもので、彼らから教わることも決して少なくなかった。
マスターは自分と同じ趣味を持つ、陽気で人懐こい彼と過ごす夏の十日間が楽しみだった。それは二人が免許を取って以来、一度も欠かすことなく続いている。街の雑踏や喧騒から解放され、照りつける太陽と潮風の中の十日間、果てしない水平線を見ながら二人でのんびりと釣糸を垂れ、彼がいつも楽しい冗談を言い、マスターは顔を皺くちゃにして笑った。彼はマスターのことを〈キャプテン〉と、マスターは彼のことを〈教授〉と呼び合っている。二人の夢はいつか船で日本を一周すること、そして年一回のこの行事を互いに耄碌するまで続けることであった。
「ああ、こっち方面に用事があって、ついでに寄ったんだ。もう帰るんだろ? 車だから送ってくよ」と入口のところから彼が笑顔で言った。
「そうか! 悪いね。すぐ行くから車で待っててくれないか?」
「あいよ!」
彼が出ていくと、マスターはやりかけの帳簿を引き出しに収め、売上金をカバンに入れた。そして傘を一本持つと、店全体を見渡してから出ていった。
〈続〉