好きなもの 本
久々の投稿となります。
個人的に好きなもの…本や映画、音楽等について書いてみようと思います。
今回は本について。
若い頃は時代も時代で、とにかく退廃的なものがお洒落で格好いいと思っていた節があります。
なので、サガンやサリンジャー、カミュ、国内だと初期の村上春樹さんをよく読みました。
その少し後、パトリシア・ハイスミスにハマりました。
彼女の『見知らぬ乗客』はアルフレッド・ヒッチコックが映画化し、『太陽がいっぱい』はアラン・ドロンを世界的スターにした作品ですが、
私が偶然、手にした彼女の初めての本は『贋作』でした。
期待せずに読んで、とても面白かったので、それから彼女の作品を結構読みました。
最も好きな作品は『ふくろうの叫び』です。
最後にちゃんと読んだ小説は、伊坂幸太郎さんの『死神の精度』あたりだったか…。
というのも、視力が悪くなったせいで、読書がままならなくなったからなのですが、最近は肩の凝らない、気軽に読める本を手にするようになっていました。
が、好きだった『ふくろうの叫び』が再び手に入りそうなので、頑張って読んでみようと思ってます。
読み物は映像と違ってその人の想像力を掻き立てるので好きなのですが、そういう意味ではラジオドラマもまた面白いです。
次回は、TVドラマについて書いてみようと思っています。
ひとこと
小説『SUMMER RAIN』は1994年に執筆しました。
多少なりとも楽しめて頂けたら嬉しいです。
第4章 夢のかけら 〈6〉
頂上は目前だった。横殴りの暴風雨が一段と激しさを増し、2人の乗っている車も吹き飛ばしてしまいそうな勢いだった。
「あれは事故だったんだ…」後部座席に釘付けになっているマスターに、彼は声を戦慄かせて言った。「雨のせいだ。決して酔ってたわけじゃない、酔ってなんかいなかったんだ。学生たちと一緒に少しだけ呑んで、そして、俺は家に帰ったんだ。それからハンドルをこういう風に…」
突然、彼はハンドルを崖めがけて切ろうとした。
「やめろ!」マスターは叫びながら必死で制し、ハンドルを奪い取った。「車を止めるんだ」
彼はその声に怯んだように車を止めた。そこは既に頂上だった。
「美代子! 美代子!」と彼は喘いだ。興奮して苦しそうに肩で息をしている。
自分の不注意による事故で、それも自分の娘を殺してしまったのである。マスターは彼の心中を察した。錯乱状態になるのも無理はないとも思った。しかし、常軌を逸したこの彼の行動は理解に苦しむ。どうしてすぐに病院に連れていかなかったのか、いや、きっと彼はそんなことを思いつきもしなかったに違いない。
マスターは頭をフル回転させ、まずこの場を凌ぐことを考えた。「事故だったんだ。おまえのせいじゃない」
束の間、彼は怯えた目でマスターの方を窺うように見た。
「わかってるよ。どうしようもなかったんだろ?」マスターは構わず続けた。
「俺のこと、狂ってると思ってんだろ?」と彼は前を向いたまま言った。
「何、馬鹿なこと言ってるんだ。俺がおまえの立場だったとしても、やっぱり同じだったと思うよ」
すると俄かに彼は啜り泣き始めた。「ずっと友達でいてくれるか?」
「当たり前じゃないか」マスターは彼の肩をポンと軽く叩いた。「何も変わらないよ。だから引き返そう。俺がついてるじゃないか」
マスターの力強い言葉にますます彼は顔を歪め、涙声で言った。「ハ、ハハハ、良かった。嬉しいよ。マスターならきっとそう言ってくれると思ってたんだ。俺の話、信じてくれるだろ? 俺が見た時、駐車場には誰もいなかったんだ。まさか、あんなところで俺の帰りを待ってるなんて…」
「ああ、信じるよ。この世の中、予測不能なことばかりさ。でも、だからってヤケになってどうするんだ。一刻も早く、美代子ちゃんを病院へ連れていかなくちゃ」
「病院…」と彼は呟いた。そしていくらか落ち着きを取り戻したように言った。「そうだな」
マスターはその様子を見てほっと胸を撫で下ろした。
それから彼は引き返すことに同意し、再び車を動かし始めた。「俺、キャプテンと友達で、本当に良かっ…」
その時、突然一筋の光が走ったかと思うと、凄まじい轟音が耳をつんざき、稲妻が車の中を一瞬にして駆け抜けていった。車はそのまま真っ直ぐガードレールめがけて突っ込んでいった。コマ送りのようなスカイダイビングを繰り広げた後、荒れ狂っていた波は儚く砕け、彼らの乗った車はゆっくりと、呑み込まれるように、広大な海の中へ消えていった…。
ショットバー『S&M』の時計は、午前一時三十七分で止まっていた。マスターの〈夢のかけら〉は乗客や乗組員、そして船長さえも失い、座礁した船は時間の経過と共に錆れ、荒んでいくだけとなった。
〈終〉
第4章 夢のかけら 〈5〉
いよいよ頂上に近づいていた。マスターは彼の方を向いてはいたものの、見通しの悪い前方からも目を離せずにいた。外はもう嵐で、木々は怒り狂ったように踊り続け、激しく車に打ちつける雨や風の音が彼のハスキーな声をかき消していく。
「全然気がつかなかったんだよな。まさか、あんなところにいるなんて…。なあ、そうだろ? そうだよな、雨で視界が悪かったもんな」
「おまえ、誰に言ってるんだ?」恐怖で喉がカラカラに乾き、マスターの声は嗄れていた。
彼はそれまでの沈んだ様子から一変して、今度は狂気じみた高笑いを始めた。
「ほら、笑ってるじゃないか。聞こえるだろ?」
マスターのからだに戦慄が走った。
「話してやれよ! キャプテンが聞きたいんだってさ」と彼は続けた。
「頼むからしっかりしてくれよ! いったい何の話なんだ?」
「後ろで笑ってるのが聞こえないのか?」彼はそう言うと左の口端だけ持ち上げて少し笑い、顎で後部座席を指し示した。
マスターは弾かれたように後ろを振り向いた。それまで気づかずにいたが、白っぽい毛布が何かに掛けてある。恐る恐る触った。毛布は水浸しだった。思い切って剥ぎ取ると、小さな女の子が横たわっていた。
〈続〉
第4章 夢のかけら 〈4〉
彼は口を閉ざしたまま高速を下りた。マスターは不安そうに彼をみつめていた。雨は休みことなく驚異的に降り続いている。暗闇の中へ車ごと吸い込まれていきそうな沈黙が続いた。そして車は細く曲がりくねった暗がりの山道を、彼の危なげなハンドル捌きで登り始めた。
海を一望できるこの界隈は、普段ならカップルの乗った車が何台もたむろしている。ところが今夜は一台の車も見かけていない。つまり、こんな悪天候の夜にドライブするような〈狂人〉は自分たちだけなのである。車内という狭い空間の中、マスターの鼓動は次第に高鳴り始めた。
「なあ、戻ろうよ」とマスターは懇願した。
すると彼は訳の分からないハミングを口ずさみ始めた。
マスターの不安は一気に恐怖に変わった。「おい! 何とか言えよ!」と彼の肩を強く揺さぶった。
しかし彼はハミングをやめない。
「おまえ、帰って休んだほうがいいぞ」と彼の感情を逆撫でしないよう、マスターは優しく諭すように言った。「俺も疲れてるし。な! 帰ろうぜ」
彼は首を横に振った。「駄目なんだ」
「何が駄目なんだ?」
「待ってるんだ」
「誰が?」
「待ってるんだ、じき会えるさ」彼の目は虚ろだった。
「おまえ、自分で何言ってんのか、わかってるのか?」マスターは叫んでいた。
「実は、俺…」
「実は何だ? 何だよ? 早く言えよ!」
いったい彼がどうしたのか、まるでわからないマスターは軽い眩暈さえ覚えた。
〈続〉
第4章 夢のかけら 〈3〉
車は高速道路を走っていた。制限速度をはるかに超えたスピードを出し、時々スリップを起こしている。それでも彼は少しもスピードを緩めようとせず、ひたすら前方だけをみつめて沈黙を守っていた。
マスターはようやく彼が酔っていることに気がついた。「おい、教授! 呑んでるだろ?」
「なあに、ビールを一杯ひっかけただけだよ。そんなに心配しなくても大丈夫さ」と彼は言った。
「とにかくスピードを落とせよ。落とさないんだったら、もうこれっきり友達やめるぞ!」とマスターは咎めるように強い調子で言った。
「あいよ、キャプテン」
彼は渋々スピードを緩めた。
「ところで、誰と一緒だったんだ?」とマスターは彼を訝し気に見ながら、探るように訊いた。
「学生たちに誘われて、一緒に食べて騒いでたよ」と彼はさりげなく答えた。
「みんな元気か?」
「ああ、変わりなく」
「奥さんは元気か? 美代子ちゃんも可愛くなっただろう? そういえば、当分会ってないもんなあ」
すると彼はマスターを鋭く一瞥し、「ガタガタ言うな!」と怒鳴った。
マスターは一瞬たじろいだ。そんな彼を見るのは初めてのことだったのだ。
ところが彼は怒鳴った直後、すぐさましどろもどろになりながら謝り始めた。「あ、いや、違うんだ、何でもない。御免! 御免よ! 美代子かい? ああ、ああそうだ、可愛くなったよ。俺に似てるんだ…」
「なあ、何かあったんだろう? 言えよ。水臭いじゃないか」とマスターは親身になって訊いた。
「本当に何でもないんだ。ちょっと考え事をしてただけだよ。それより、キャプテンの造った自慢の船、もう名前は決まったのかな?」
彼が故意に話題を変えたので、マスターはもう少し様子を見てみることにした。「ああ、付けたよ。なんてことはない名前だよ」
「あ、待てよ。まさかキャプテンから取って『ザ・キャップ号』とかいうんじゃにだろうね?」彼は普段の調子に戻っていた。
マスターは笑った。「もっと単純さ!」
「ヒントは?」
「俺の仕事に関係あるね」
「わかった! 『S&M号』だな!」
「その通り!」
「そいつぁ、いいね! Sun&Moon、太陽と月、そして果てしなく続く海」彼は茶化すように言った。
「ずっと話してた日本一周の計画、本気で考えてみようぜ。世界に一つしかない、俺の手作りの船は内装もバッチリだからな! いろんなアイデアが生かされてて、過ごしやすいこと請け合いだぜ!」
マスターが夢見がちにそう言うと、彼はつと「無理だね」と呟いた。
「無理?」マスターは彼の言葉を繰り返した。
〈続〉
第4章 夢のかけら 〈2〉
外に出ると土砂降りの雨が地面を叩きつけており、傘はほとんど役に立たなかった。マスターが急いで助手席に乗り込むと、車は滑るように動き出した。
マスターのマンションは店からだいたい車で五十分くらいのところにある。彼の家まではそれからさらに一時間近くかかった。
「景気はどう?」と彼が訊いた。
「うん、相変わらずだね。今夜なんかは出だしは良かったんだけど、後がさっぱりだったよ」とマスターは答えた。
それから二人の乗った車は交差点を右折した。しかし、それは帰路とは逆方向だった。
「おい、何処へ行くんだ?」と不審に思ったマスターが言った。「方向が違ってるよ」
「ちょっと走りたいんだ。つき合ってくれるだろ! キャプテン」彼の口調は極めて強引だった。
「この雨の中を?」とマスターは唖然として言った。
「こんな雨、たいしたことないさ。キャプテンと一緒なら、たとえ火の中水の中ってね!」彼は悪ぶれるでもなく言った。
「何処までいくんだ?」とマスターは諦め顔で訊いた。
「うん。海の見えるところ」と彼は言った。
マスターは目を見開いた。「おい、ちょっと待てよ。真夜中なんだぜ! 海っつったってこの土砂降りに暗闇じゃ…」
「わかってないね!」と彼はマスターの言葉を制した。「そういう気分なの、俺。そう目くじら立てるなよ!」
マスターは長いつき合いから、何かあったなと直感した。だから溜め息交じりに承諾した。
〈続〉
第4章 夢のかけら 〈1〉
最後の客が出て行くと、マスターはドアに鍵をかけた。それから洗い物を手早く片づけ、カウンターの上で売上金の計算をしていた。その時、“ドンドン”とドアを執拗に叩く音がした。マスターはカウンターの隅にある小さな時計を見遣った。午前一時二十三分だった。
「悪いね、今夜はもう看板なんだよ!」とドアを見据えて言った。
「俺だよ! キャプテン!」とドア越しに男が言った。
「教授か?」マスターはすぐさまドアを開けた。「よう! 久しぶりだね。一人?」
それは毎年八月に、マスターが船上で一緒に過ごす旧友だった。マスターが自分の店を持った直後からの付き合いなので、やはり二十年になる。二人は一級小型船舶操縦士の免許を取得するための講習会で知り合い、そしてすぐに意気投合した。当時マスターが二十九、彼は二十八だった。二人して一級免許を取得した時は、まるで子供のようにはしゃいだものだった。
二人ともその頃は引き締まったからだつきをしていたが、歳月が二人の明暗を振り分け、今ではマスターは立派な太鼓腹をし、彼の方は相変わらず細いからだを維持している。彼は人生を上手に渡っている人間が往々にして持つ、溌剌とした表情をしており、実年齢より五つは若く見えた。気楽な生活を好むマスターは未だに独身だが、彼には十も年の離れた可愛い奥さんと、七歳になる、彼によく似た娘がいた。
単なる講師だった彼も今では某大学の教授で、主に経済学を専門にしている。彼を慕っている学生たちと時々店にやってきた。彼らが来た夜は決まって店を閉めた後も貸切り状態となり、夜明け近くまでどんちゃん騒ぎに付き合わされることになった。しかし若者たちと過ごす時間は常に有意義なもので、彼らから教わることも決して少なくなかった。
マスターは自分と同じ趣味を持つ、陽気で人懐こい彼と過ごす夏の十日間が楽しみだった。それは二人が免許を取って以来、一度も欠かすことなく続いている。街の雑踏や喧騒から解放され、照りつける太陽と潮風の中の十日間、果てしない水平線を見ながら二人でのんびりと釣糸を垂れ、彼がいつも楽しい冗談を言い、マスターは顔を皺くちゃにして笑った。彼はマスターのことを〈キャプテン〉と、マスターは彼のことを〈教授〉と呼び合っている。二人の夢はいつか船で日本を一周すること、そして年一回のこの行事を互いに耄碌するまで続けることであった。
「ああ、こっち方面に用事があって、ついでに寄ったんだ。もう帰るんだろ? 車だから送ってくよ」と入口のところから彼が笑顔で言った。
「そうか! 悪いね。すぐ行くから車で待っててくれないか?」
「あいよ!」
彼が出ていくと、マスターはやりかけの帳簿を引き出しに収め、売上金をカバンに入れた。そして傘を一本持つと、店全体を見渡してから出ていった。
〈続〉
第3章 裏切りの街角 〈7〉
※
今度はずぶ濡れの男が店に入ってきた。その姿は女のアパートへ帰ってきた時の彼と同じくらい、ひどく哀れだった。
そして少しすると、ダーツで盛り上がっていた若い女と黒人たちが出ていった。店はまた静寂を取り戻した。
※
座り込んだ彼はそれから時間が経つのも忘れて、苦渋に満ちた自分の人生についての堂々巡りに没頭していた。気がつくと午後六時だった。女の店は七時からである。いつもならこの時間、メーキャップをしているはずの彼女は、まだうつ伏せで寝そべっていた。
「おい、今日は店に行かないのか?」と彼は静かに言った。
返事がなかった。彼はもう一度、今度はどこかからだの調子でも悪いのかと訊いたが、それでも彼女は何も答えなかった。彼は彼女の肩を強く揺さぶって仰向けにした。彼女のからだはやけに重く、冷たかった。彼は弾かれたように後退りし、何かに躓いて転んだ。彼女は息をしていなかった。
彼が躓いたのは小さな瓶だった。それは空になっていた。ようやく正気を取り戻した彼は、彼女のバッグの中身を丹念に調べた。通帳が出てきた。彼女の通帳だった。二千万円という数字が刻み込まれていた。
※
ずぶ濡れになっていた男が出ていき、店の客はまた彼一人になった。もうすぐ午前一時、閉店時間である。彼は一息でグラスを空にし、マスターに合図した。
「また近いうちに来てよ」とマスターが微笑んで言った。
彼は少しだけ頷くと、何も言わずに出ていった。
雨脚が強くなっていた。彼はその中を無意識のうちに歩いた。それまでずっとぼやけていた彼の視界に、突然見覚えのある街角が入った。彼は自分でも気づかないうちに、あの夜、彼女を待っていた通りを歩いていた。
あの時、彼女は息せき切ってやってきた。まるで少女のように……。
〈続〉