SUMMER RAIN

夏の雨は時に優しく、時に無情・・・

第2章 ヒッピーに憧れて〈1〉

恵理が二人の黒人(ジョージとトミー)と一緒に店にやってきた時、客はサラリーマン風の男一人だけだった。午後十一時を過ぎていた。カウンターに並んで座るとマルガリータを三つ注文した。 ジョージたちは二か月前、シアトルから遊びがてら日本にやってきて…

第1章 見返りなき愛 〈7〉

愛想良く出されたスコッチを、泰彦は一気に半分近く飲んだ。アルコールが身体の細胞の隅々まで染み渡っていくようだった。 「随分と濡れたね」とマスターがタオルを差し出しながら言った。 床に水滴を滴らすほど濡れていることに、彼はそれまで気づかずにい…

第1章 見返りなき愛 〈6〉

〈家柄〉や〈地位〉、そして〈泰彦の独立〉に対する父親の後押しの話を持ち出して、〈自分や自分たちの正当性〉を論じ始めた“見知らぬ女”を泰彦は見つめていた。それはまさしく“あの連中”の顔だった。あの、人を見下したような傲慢な表情、それが当然である…

第1章 見返りなき愛 〈5〉

依子は今日の夕方、十日間のカリブ旅行から帰国したばかりだった。独身時代最後の思い出旅行は相当楽しかったらしく、レストランに入ってからも暫くの間夢中になって喋り続けていた。一か月後に新婚旅行でヨーロッパ一周旅行に出かけるというのに、わざわざ…

第1章 見返りなき愛 〈4〉

依子は二十五年間の人生に於いて、欲しいものを取りこぼしたことはただの一度もなく、泰彦でさえその例外ではなかった。一見育ちの良さそうな、生命感溢れる表情をした、今や絶頂期と思われる彼が、まるで壊れやすい宝物を扱うように彼女の傍らに存在するの…

第1章 見返りなき愛 〈3〉

翌日の夕方『プロジェクトJC』の社長から電話で夕食に誘われた。泰彦が指定された場所に行くと、待っていたのは髪の長い女だった。それが依子であることに気づくまで数秒かかった。前日のパーティーでは髪をひっつめていたので、まるきり違う女に思えたので…

第1章 見返りなき愛 〈2〉

依子と出会ったのは今からおよそ半年前の、祝賀パーティーでのことだった。 四年前、全国で一、二を争うホテルチェーンを持つ、名うての『プロジェクトJC』から泰彦の勤める『サンライズ・コンサルタント』へ設計の依頼があり、その大役が目下成長株だった泰…

第1章 見返りなき愛 〈1〉

泰彦はカウンターに座るとスコッチを注文した。この店に顔を出すようになって既に8年の、馴染み客の一人である。午前零時を回っていた。店には隅の一角でダーツに興じている若い女と黒人二人、それにサラリーマン風の中年男が一人いるだけだった。黒人の一人…

序章

地下2階にあるショットバー『S&M』は、壁にマホガニー調の板を張り巡らせ、点々と散らばる古めかしいランプが店内を黄金色に染めている。そろそろ五十に手の届きそうなマスターの思惑通り、〈大型クルーザーのキャビン〉を巧く演出していた。 上唇に髭を蓄…